いま、わたしが暮らす愛媛の山里では、さまざまな野生動物が出没します。秋の米や栗の収穫期を狙って、現れるのです。イノシシやハクビシン、ニホンアナグマ、タヌキ、キツネなど、いずれも出会えばかわいいと感じますが、山里の生産物は確実に食い荒らされています。そこで、有害鳥獣駆除ということになります。
こういう話を書くと、都市の文明に囲まれた人々の中には、「人が野生生物の領域に住んでいるからいけない」とか野生動物との共存といったことを物知り顔で主張する人も少なからずいます。今回の画像などを見たら、そういう人たちは、さらに批判するのでしょう。しかし、主張や批判はしても、けっして山里で暮らそうとはしません。
じつは原発の問題も、このような状況と相通ずるところがあります。過疎の中の人々は、環境と一定の融和を保ちながら暮らそうとしても、一方で野生生物との衝突、他方で働き口もなく収入も限られているのです。二次自然を豊かに保つには、人々が自然に働きかけつづけなければなりませんが、そのような行為(広い意味での環境保全)には、経済的にほとんどまったく報いはありません。原発のような「毒饅頭」的な補助金でもなければ、暮らしそのものが立ち行かないのです。
過疎、そして原発といった問題を考えるときは、このような観点も必要です。単に科学技術や経済成長ではなく、社会文化的視点を欠いては、おそらく解決策は見いだせないはずです。
ということなどを考えながらも、画像のイノシシはわたしたちの胃に収まることになります。